2015年2月16日月曜日

Sacriphotography0019

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D800 135mmf2.8 1/250 f8 ISO180

最近、中古のレンズを三本買った。ひとつはバルナックライカ用のLマウントレンズのズミター50mmf2で、あと二つはNikonのフイルムカメラF3HP用に50mmf2と135mmf2.8である。

上の写真は135mmf2.8で撮った写真。クリックするとFlickrに飛ぶので拡大して貰えばわかるのだけど、古いレンズなのにとんでもなく解像する。もちろん手ぶれ補正は無いし、望遠の単焦点なので写真は微ブレしているのだけど、それでも塔の金属感や瓦の紋様などもしっかり描写している。買って良かったなとニヤニヤしてしまう。やっぱりカメラはレンズが変われば写真も変わるし、写欲も戻ってくるものなんだとあらためて思った。

レンズを購入したのは大阪府堺東駅近くのカメラのヤマゲンというお店。今自分が持っているフイルムカメラとそれ用のレンズは全てこのお店で買っている。とんでもない美品が置いてあったりするので、美品好きの自分には持ってこいのお店で気に入っている。あと適正な価格で販売しているのも素晴らしいと思う。大阪にはとんでもない法外な価格を提示しているお店もあったりするから。

このレンズを購入する時に「なぜこういう美品の中古レンズを掘り出してこれるのですか?」って店主に聞いたら、「いろいろアンテナを張り巡らせて、あそこのあの方が亡くなったとかそういうのを出来る限り把握しているからです。」とおっしゃっていた。

なるほどと思った。コレクション的にカメラやレンズを綺麗に保存している方もいるだろう。そういう方の大事なコレクションが亡くなられた時に価値もわからずに捨てられてしまったら、それは非常にもったいない話だ。

現代のレンズやカメラを否定する訳ではないが、昔のカメラやレンズは触ってみればわかるけど工芸品である。現代のプラスティックで包まれた製品とは違った質感が圧倒的に伝わってくる。現代の製品はきっちり計算されて造られている。どれくらい経過すれば壊れるのかも計算されて造られているし、それを可能にする生産技術もある。その分、面白みがない場合もあるし、価格なりの製品も多い。対して昔の製品はオーバークオリティなものが多い。そういう考え方というか造り方が自分の琴線に触れるのかもしれない。

そういったカメラやレンズ達が陽の目を見ること無く捨てられてしまわないように、再利用されれば、それは素晴らしいことだ。


自分の目の前にある綺麗なレンズを見て思う。

「こんな綺麗に保管してくれてありがとう、大事に使わせてもらいます。」


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